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児童虐待の歴史と防止の取組
虐待防止の活動が盛んになったのはごく最近のことです。過去50年間に米国及び世界の多くの国々は、法律を制定し、介入のための多種類のプログラムを導入し、組織的努力を行い、現在では、国際的国内的に多数の虐待防止活動団体が存在します。 ここに到達する以前には、子どもたちの暗く厳しい現実と歴史がありました。
古代や中世、近世の時代は、子どもを保護するという考えや制度はなく、子捨て、子殺しが社会的に容認されていました。近代社会に入って貧困の克服、生活の安定に向かい、市民社会が「豊かな社会」を目指す途上に虐待問題が起こってきました。第二次大戦後のことです。
ボックスA-6 に簡単なまとめをしてあります。
1. 中世・近世の子どもたち
グリム童話の1割は子捨て、子殺し、継子いじめなど、残酷な話です。農民の過酷な労働と貧困が背景にあり、夫婦の一方の死別と再婚は数多くの「継子」を生じ、継子いじめの物語となりました。(***) |
2. 虐待防止運動の開始(ニューヨークのマリー・アレン事件)
1874年9歳の少女が養母に殴打されて瀕死の状態でした。当時、被虐待児を保護する法律はなく、市民は「動物虐待防止協会」に相談し、子どもは広義の動物であるから保護を受ける資格があると運動した。この状況は欧米各地に報道され、ニューヨーク、そして英国に児童虐待防止団体が設立された。 |
3. 米国医師たちの活躍
第二次大戦直後の1946年放射線専門医のキャフィーが子どもの骨折レントゲン像の報告で虐待の疑いを発見しました。医学界に初めて登場した虐待の例です。 同様の症例報告が続き、1961年米国小児科学会のシンポジウムでコロラド大学ケンプ教授が「殴打された子どもの症候群」(被虐待児症候群)の用語を提言し、欧米で急速に理解が進みました。 以後急速に対応策が進みました。 |
4. 米国連邦法の制定(1974年)と防止活動の国際的広がり
米国各州では、1960年代に虐待防止の州法制定が進んでいたが、1974年「児童虐待の予防と治療に関する法律」が連邦法として公布されました。 アメリカ、イギリスでは児童虐待に対して福祉の多職種が加わり、発見、保護、援助や治療、家庭保護など多方面にわたって対応策が進められています。保護・支援の方法は、国によって大きく異なることがあります。
子ども虐待防止国際協会、子どもの権利条約、国際雑誌の発行など大きな広がりを示しています。 |
5. 日本の動向
日本の古い時代には子どもにとって不幸な時代が続きました。人身売買、かどわかし、間引き、堕胎、貰い子殺し、捨て子、子どもの年期奉公などなど。 第二次大戦前に児童虐待防止法が施行されましたが、それを引き継いで、本格的な子どもの保護が進められたのは、戦後の昭和22年公布の児童福祉法です。その25条に要保護児童発見者の通告義務を設け、虐待通報を国民に義務付けております。平成12年に児童虐待防止法が施行され、虐待対応の運用が円滑化されました。関係省庁、団体による児童虐待防止対策協議会が、また、厚生労働省内に虐待防止対策室が設置され、平成14年に子どもの虹情報研修センターが開設されました。
その後、平成16年及び平成19年に対策を充実強化するため児童虐待防止法及び児童福祉法の一部がそれぞれ改正されました。 |
[参考資料]
(*)池田由子:小児虐待の定義と歴史.小児内科、27巻、11号、1995年発行
(**)柳川俊彦:子ども虐待の歴史.小児内科、34巻、9号、2002年発行
(***)松井一郎:民話児童文学から学ぶ虐待.教育と医学、49巻、4号、2001年発行
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